薬師山奇譚
薬師山病院の事
私と薬師山病院との関係は今を遡る20年以上前薬師山病院が国島病院という名称で地域の療養型病床として機能していた時代に遡ります。
老朽化した病院は何か古色蒼然愁いを帯びた白い壁が剥がれ落ち補修もされないまま活気のない老人病院として佇んでおりました。それなりに地域の病院として社会的入院を含め時代の流れの中での役割を担っていた様に思います。
当時、みその橋通りに内科循環器科を開業していた当法人に国島病院を買ってもらえないかという話が舞い込みました。
恐らく当時の事務長と思われる方と買収条件等について病院内の一室(あの懐かしい消毒の匂いが部屋一面に広がっている)で話し合った事を、朧げながら覚えています。
条件は折り合わずこの話は破談に終わりましたが、この時この病院を買っていたら当法人の運命はどうなっていたでしょうか?
今でこそ当法人は医療介護の様々なサービスをこの地域の中で展開をしておりますが、当時は一医院だけで外来医療のみ提供していました。その中で病院を運営していたらどうなっていただろうかと今の薬師山病院を拝見しながら考えることもあります。
幸い私共とは縁がなく独立型ホスピスとして立派に地域医療に貢献されているのを拝見して、今では、あの時買わずにいて良かったと胸を撫で下ろしています。とてもこのような役割は担えなかったと思う反面、西賀茂地域で新しい時代の地域完結型医療の一翼を担う病院ができたかな、などと夢想しております。
さて国島病院が閉院した後、1988年西賀茂の薬師山地域、正確には大宮薬師山西町、国島病院の跡地に薬師山病院が開院された訳ですが、この薬師山という地名、伝教大師最澄が平安時代に開山したお寺が由来とされます。
歴史的には江戸時代正徳年間(1711~1716)近衛基熙公が開基となり隠嚴禅尼を招いて近衛家の香華所として新たに尼寺として開山された、黄檗宗一様庵の本尊が薬師如来であることに由来してこの地名が誕生したようです。
薬師如来は本来薬壺を持ち病気を治す仏様で、阿弥陀如来とは異なり現世のご利益を齎す仏様とされます。
この地名にふさわしく私共は正しく薬師山病院がホスピスとして現世の苦しみを取り除き安寧を司る病院としての役割を担われているものと思います。そして今後もその役割を私共と連携しながら果たし続けられる事を期待しております。
合掌